雨ふらし 3



 雰囲気変わった。


 ボソリ、とそう呟くと、団蔵は葉っぱを自分の目の前に翳しながらうん?と気のない返事をした。
 周りには、雨に洗い流された自然が広がる。この季節はあまり好きじゃない。じめじめして、気分まで重たくなるから。そのことをこの男に云っても、どうせ取り合ってはくれないのは知っている。だから団蔵とおつかいなんて行きたくなかったんだ。
「話聞いてるのかよッ」
「うるせーなー・・・」
 この莫迦旦那め。人の話をちっとも聞いていない。
「おまえらの痴話喧嘩なんていつものことだろうが」
「ちッ痴話喧嘩じゃないだろ!」
「三治郎がなに?なにがどう変わったって?」
 ああ、もう本当に聞いていない。
 わたしはうんざりして空を見上げた。
 先日までの雨が嘘のように、きれいに晴れ渡った青空だ。時折白い鳥がそこを舞って、美しい曲線を描いていた。
「・・・要するにおまえはあれか。三治郎が人を殺したから厭になったのか」
「厭ってわけじゃない」
「じゃあなんだよ」
 団蔵もうんざりしているようだった。
 当然だ。自分にだって解らないこの気持ちを、他人――ましてや人一倍人事に関心のない団蔵――に、理解できるはずがない。わたしは三治郎が嫌いじゃない。厭なわけじゃ決してない。
 だけどそれなのに、厭な気分になる。
「きもちわるい」
「あ?・・・ひとに愚痴っといてなんだそりゃ・・・」
「お前じゃない。わたしが」
「なんで自分が気持ち悪いんだよ」
 知らない。そんなことわからないよ。だからこうしてお前に話を聞いてもらってるんだろうが。
「・・・団蔵に話したわたしが莫迦だったよ・・・」
「なんだその言い草ッ!!」
 もういいや。団蔵に何云ったって仕方のないことだ。
 早く帰らなければ、また学園長の雷が落ちる。
 大体如何して6年生にもなって学園長のおつかいなんざ行かなければならないのだろう。しかも折角の休校日に。
 甚だがっかりしてしまって、わたしは再び歩を進める。


 件の実習から三日が経って、三治郎はいつもと変わらない生活を送っていた。朝になれば既に三治郎は起きていて、おはようと云って笑いかけてくれる。夜寝るときも、横を向けばそこにはちゃんと三治郎が居る。何も変わらない、普段どおりの毎日。
 だけど・・・わたしは居心地の悪さを隠せなかった。
 もともと癇癪もちで、さすがにこの年で不貞腐れる機会は少なくなったけれど、自分の感情をうまく操る事は難しかった。気に入らないことがあればプイと教室を抜け出して、みんなの群れから離れた。そうしてひとりで居れば、いつも決まって三治郎が迎えに来てくれていた。
 今もそれは変わらない。
「遅かったじゃないか」
 学園に戻ったわたしに、三治郎はそう云った。庭先でなにやら土いじりをしている。軽く挨拶してその手元を覗き、わたしはぎょっとして飛びのいた。
「な、なんだそれ?!」
「ふふ、可愛いでしょ?生物委員で新しく飼うことにしたんだよ」
 土から顔を出しているそれは、大量の蚯蚓だった。しかもとりわけ、でかい。
 頸をもたげ、奇妙な動きをしている。
 わたしは眼を逸らした。
「兵太、露骨に厭そうな顔するなよ」
 三治郎はまるで蚯蚓に同情するかのような表情をしてみせる。
「おまえ伊賀崎先輩二代目だな・・・」
「そう?あ、そういえば孫兵先輩が残していってくれた紙魚の卵が孵りそうなんだけど、兵ちゃん特別に見せてあげようか」
「遠慮しとく!」
 虫独特のあの卵の姿を思い出して、わたしは戦慄した。
 生物委員長になってから、三治郎はやたらと昆虫類に詳しくなった。その手の情報に疎いわたしにしてみれば、まったく意味のあるのかないのかわからないのだけれど。
 かつての伊賀崎孫兵先輩の生き写しのような三治郎は、嬉しそうに巨大蚯蚓を観察していた。

「作法委員はどう?」
 しばらくの沈黙のあと、三治郎は問うた。
 いつの間にか蚯蚓たちは姿を消している。土の中にもぐってしまったらしい。
 学園内の地下には蚯蚓が大量に棲みついていて、どんどん成長しているのだといつだったか三治郎に聞いたことがある。
 しゃがんだままの体勢で、三治郎の目がわたしを捉えた。
「兵ちゃんが委員長さんなんて後輩も大変だよねぇ」
「なにそれどういう意味?」
 わたしが二代目孫兵さんなら、兵ちゃんは二代目立花先輩だよね、と笑う。
 その通りかもしれないが、そうはっきり云われては、喜んでいいのか悪いのかわからない。
「それって褒めてるのか」
「どうだろうねぇ、立花先輩はかっこよかったけれど」
「・・・」
「兵太は格好よくないからねぇ」
 そう呟いて、口元を歪めた。挑発しているのは明らかだった。三治郎は此処のところ、厭な笑い方をする。皮肉っぽいと云うか、哀れみを湛えた目と云うか。
 それにわかっていながらも、腹を立ててしまうわたしもどうかと思うのだが。
「どういう意味だよ」
「そのまんまだよ」
「莫迦にしてるのか?・・・なんなんだよッ」
 わたしは声を荒げた。これでは三日前を同じだとわかっている。本当に、莫迦莫迦しいともおもう。わたしは如何してこんなに苛々しているのだろう?
「成長したのは躰だけか」
「なに・・・?!」
「大人になったのは身長だけかって云ったんだ」
 三治郎は立ち上がった。
 思わず半歩後ずさりしたくなるほど、それは迫力があった。
 三治郎の険しい顔がある。少しだけ、背筋が凍った。
「な、んだよ・・・おかしいぞ、最近のおまえ」
「そうかな?ぼくに云わせれば兵太のがおかしいとおもうのだけど」
「わたしは別に・・・」
「どうしてあのとき攻撃しなかった?」
 突然三治郎の声色が変わった。
 その言葉が、脳裏に思い出したくない光景を蘇らせた。
 三日前、三治郎が男を斬った夜。
 皆が警備に当たっている主の傍に控えていたのは、わたしと三治郎だった。
 そして、敵の小刀が投げつけられたとき、真っ先に反応したのはわたしだった。
 足元につきたてられたそれを見て、主を突き飛ばしてかわさせると、そのまま主と敵から身を離してしまったのだ。
 完全に無意識下の行動だった。
 三治郎が咄嗟に、現れた男を切り捨てなければ、主はその夜のうちに殺されていたはずだ。
「あのとき、兵太は自分から攻撃をしなかった。かわした。逃げた。莫迦じゃないのか?」
「・・・ッ」
 わたしの言葉を遮って、三治郎は言葉を続ける。
「は組のみんなも知っている。だけど、みんな兵太夫のことを庇って何も云わないんだ。まぁあのときはみんながみんな必死だったから、兵太ひとりを責めるわけにゃいかなかったんだろうけどさ」
 頭がガンガンと痛い。三治郎は今まで見たことがない剣幕で睨みつけている。
「そんなことで忍びが務まると思ってるのか?いつまで甘えてるつもりだ、兵太夫」
「そっそんなことおまえに云われなくてもわかってるよッ!」
 三治郎の胸倉を掴んで、叫んだ。熱い塊がこみ上げてきて、胸が苦しかった。
 そんなこと云われたくなかった。
 三治郎が、わたしにそんなことを云うなんて考えた事なかった。
「ずっと弱虫の三治郎じゃないんだからな」
 声色がおかしい。爆発するのを必死で抑えているような声だった。
 胸倉を掴んでいるわたしの右手に、三治郎の手が重なる。
 信じられない力で、握り締められた。
「・・・ッ!三治ッ」
「弱虫はそっちだ、兵太」
 そのまま突き放される。非道く冷たい目で、睨みつけられた。
「莫迦にするなよな」
 云い捨てると、三治郎は忍たま長屋のほうへ足を向けた。どんどん小さくなっていく背中に、急に力が抜けてその場にへたと座り込んでしまった。
(なんだ・・・いまの・・・)
 きゅうと心臓が締め付けられるように、痛い。思わず胸元に手を当てて、鼓動を鎮めようとしたが、駄目だった。
 脈打つたびに躰が熱を帯びたように熱かった。
(三治郎・・・)
 信じられなかった。
 三治郎が、あんなことを自分に云うなんて。
 在り得ないとおもっていた。ずっと三治郎は、自分の後ろを歩むものだとばかりおもっていた。
 最初からそう意識したわけでもなく、ただ自然と、そういうものだと思い込んでいた。
 だが、違った。
 後ろを歩いているのは、三治郎なんかじゃない。
「・・・ふざけるなよ・・・」
 鼻の奥がツーンとする。自分をそうだと認めるのが辛い。
 完全に足取りが遅れている。




[ ] [ ]


[ 2007/01/08 ]