雨ふらし 2



 初めて目の前で人が斬られたのを見た。
 確かあれは6年に進級してすぐの実習でのことだったとおもう。
 金吾の刀が、襲ってきた男の首筋を切裂いていた。
 余りのあっけなさにわたしは、呆然としながらも、意外と落ち着いている金吾を、憎らしくもおもった。

「・・・兵太夫」
 名前を呼ばれてようやく眼が覚める。そうして自分が長い事ぼうっとしていたことを気付かされる。目の前に居る男はわたしの顔を覗き込むと、苦笑してわたしの横を通り過ぎようとする。
「金吾」
「帰るぞ」
「な・・・」
 あっさりとした答え。金吾の躰半分はあかい血に塗れ、腐敗臭が漂っている。
「なにをぼけっとしてる?」
「・・・死んだのか」
 横たわる男は微動だにせず、どくどくと流れ出るあかい体液がそこここに撒かれていた。
「死んだ」
 わたしはあのとき、きっと非道い顔をしていたのだとおもう。
「なに考えてんだ?!ひと殺しといて、帰るだと・・・?!」
「お前こそなに寝ぼけたこと云ってる。」
 金吾は恐ろしく落ち着いていて、取り乱しているのは自分だけのようで。
「先生の話を聞いてなかったのか。忍びならば誰でも通る途だと」
「・・・」
 知っている。耳に胼胝ができるほどに聞かされた。
 ひとを殺めずに忍びとして生きることは出来ない。それが忍びの仕事なのだから。
 それが厭ならば学園を辞めればよいだけのこと。
「おまえ・・・初めてじゃないのか」
 愚問だ、と金吾は笑った。
「初めてのヤツがこんなに落ち着いてられるか」
「・・・」
 金吾は自分の事を多く語らない。ゆえに、初めての人殺しの話など、これまで聞かされたことはなかった。しかしこの様子だと、既に何人かはその手で殺めているのだろう。
「兵太夫は」
「・・・」
 わたしは答えない。
 愕然として金吾を眺め、そして、自分の立場を改めておもう。
「帰るぞ。長居は無用だ」
「応・・・」
 促されるままに、わたしは先走る金吾の背中を追った。


 そういう、ものなのだろうか。
 人殺しとは、その程度のものなのだろうか。
 慣れで、片付けられるものなのだろうか。
 いつの間に自分はこんなにも連中から離れてしまったのだろう。
「どうおもう?三治」
 わたしは枕元に座る三治郎に問うた。
 あの日から、情けない事にわたしは寝込んでしまった。新野先生や土井先生が何かと気遣ってくれ、兎に角よく眠って置くようにとだけ云って授業は休ませてもらっていた。
 人間がひとり消えてなくなる瞬間、それを見ただけでわたしはこうも弱ってしまうのか。
 情けないうえに悔しくて、今すぐにでも目の前の三治郎に抱きつきたい気分だった。
「どうおもうってねぇ・・・」
「そういうものなのかな」
 三治郎は先刻から言葉を濁している。
 深く考え込むような、思慮深い顔をして。
「・・・わかんない」
「そっか」
 わたしは少しだけ安心した。まだ、三治郎もひとを殺したことなどないのだろう。だから、大丈夫。まだわたしは忍びとしてやっていける。
「三治郎」
 重たい躰を持ち上げて、そっと三治郎に近づいた。
「兵ちゃん元気じゃないか」
「んーん。全然」
 だから一回だけでいいから抱きしめさせてくれ。無理矢理三治郎の躰を捕らえようとすると、三治郎は容易にその攻撃をすり抜けて壁から離れた。
「病人はちゃんと休まないと駄目だって云ってるだろう?」
「こうやって三治がお見舞いにくるほうが悪い」
 頭の芯が未だぼうっとしていたが、やけに胸が高鳴って。
「てゆーか此処わたしの部屋でもあるし」
「違いない」
 いつの間にか笑い合えるくらいの元気が出ていた。
 じゃれあっていれば昨日の悪夢も忘れられるとおもっていた。
 三治郎の笑顔だけが、救いだとおもっていた。

 あのときの笑顔は、偽物だったのだろうか。


 しばらくしてしんべヱから、三治郎のことについて聞いた。
 5年の夏、は組の中で初めて、人を手にかけたのだと云うことを、わたしはそのとき知ったのだった。
「どうしてわたしに教えてくれなかったんだ」
 薄暗い部屋の中で、苛立ちながらそう問うと、三治郎は笑って、
「兵太夫が聞いたらがっかりするとおもったからさ」
「なに・・・?」
 どこか遠い眼をした三治郎。ひとりだけ、先に進んでいってしまった三治郎。
「わたしを信用してないのか?」
「そうじゃないよ。兵ちゃんはさ・・・」
 そういう話苦手でしょ、再び笑う。如何いう意味だよ、と問い詰め様としたわたしをやんわり交わし、
「怖い?わたしのこと」
「ばッ・・・」
 頭に血が上った。完全に莫迦にされている。そう感じた。
 腕を掴み押し倒そうとすると、三治郎は案外容易くされるままになった。しかしわたしはそれ以上力を加える事は出来なかった。
 丸い、少しだけ吊った三治郎の瞳が、わたしを睨みつける。ぞっとするほど冷たい視線だ。
「な・・・んだよ、その眼」
「なにがよ?」
 きょとんとしてやがる。何も知りません、と云いたげな表情。ペースが乱されたのを感じたわたしは、もう腕をつかみ続ける力も萎えてしまった。
 突き放すように起き上がる。やれやれ、と云いながら三治郎も躰をあげた。
「だから云いたくなかったのに。しんべヱのやつめ」
「みんな・・・知ってるのか」
「ん。まぁね」
 自分だけが取り残されている。
 怒りとも悔しさともつかない感情がわきあがって来る。
 自分にはなにも聞かされなかった。誰が何処で、何故ひとを殺めたのか、なぞは。
「兵ちゃんはさ、」
 落ち着いた口調で、わたしを見上げる。
「ひとを殺したくないっておもってるでしょ」
「・・・そんなことない」
「うそつき。知ってるよ」
 ドキリとした。三治郎はこちらから眼を離さない。
「実習で、危なくなったらわざと避けるでしょう?自分の手が刀を抜くまえに、真っ先に逃げるのは兵ちゃんだけだ」
「そんなことない!」
 喉が渇く。図星であることは解りきっていた。
 三治郎の云う通りだった。
 実習・・・とりわけ、訓練実習でひとと多く関わる授業になるときは、極力干渉を避けてきた。それはいつか自らの手で誰かを殺めてしまうことを恐れたからで、逃れようのない事実。
 だけど、こうもずばりと言い当てられてしまって、わたしは冷静さを失っていた。
 力任せに拳を床を叩きつけると、立ち上がって三治郎を見下ろした。
「兵ちゃん」
 すっかり慣れてしまったらしいわたしの癇癪に、三治郎は動じない。
 そこがまた悔しくて。
「そうやってすぐに爆発するの悪い癖だ、兵太」
「うるさいな・・・」
 わたしは踵を返すと、すっかり日の暮れてしまったおもてへ足音荒く飛び出した。
 背後に三治郎が何か云ったのを聞いたが、聞こえないふりをした。
 情けなさと、悔しさが入り混じった感情が、醜くこみ上げてくる。



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[ 2007/01/03 ]