青嵐 1



 春の太陽が眩しく降り注いでいる。うららかな心地を楽しみながら、三治郎は自室へ続く渡り廊下を歩いていた。時折吹く風が三治郎の垂れた前髪を揺らし、去っていく。のどかすぎるほどの陽気に、一瞬此処が学校であることを忘れそうだった。
(気持ちいいなぁ)
 思わずほわーんとそんなことを考える。さっきまでガチガチに緊張して、教室に居たのが嘘のようだ。
 入学式が済み、一年は組の生徒たちと顔合わせをした途端、三治郎の思考は起動をやめた。みなの顔が一様に、末恐ろしく感じられたのだ。・・・怖い。本能的にそう感じた。入っていけない。人と関わることが苦手なのだ。他の生徒らが早速それぞれのグループを作り始めたときも、三治郎だけがポツンと取り残されてしまっていた。
 折角忍術学園に入学したのに、こんなことじゃいけない。心の中ではおもうものの、初めて逢う人間と馴れ合うことなどは、彼にとって大変な作業であった。
 耐え切れず、教室をあとにしたのは正解だった。休み時間の今は、学園内にものんびりとした空気が流れ、三治郎好みである。自分だけの足音が聞えるのもまた良い。は組はあんまり騒がしすぎた。
(・・・どうしよう)
 さっきまでの自分の立場を思い出して、三治郎は俯いた。強い忍者になるために、ここにやってきたのだ。だのに早速この生活を受け入れられない自分が居る。また山の中を好き勝手駆け回って、鳥と動物に囲まれて暮らしたい。寂しさとは少し違う感情が芽生えてきていた。
(ああ、そういえば)
 寮の部屋分けを発表されたことを思い出し、心の中で呟いた。
(そういえばあの子もひとりだったっけ)
 残されたのは三治郎だけではなかった。みなが固まりだしたころ、教室を見回した三治郎の目に入ったのは、教室の片隅で黙々と書物を読んでいる少年の姿だった。
 色白の顔に切りそろえられた前髪、ひとめで良い所のお坊ちゃんと云うことがわかる。書物は彼の影になって何について書いてあるものなのかはわからなかったが、その分厚さから相当難しい本なのだろう。凄いなぁ、入学したばかりなのにと見とれていると、ふいに少年と目が合って、思わず俯いてしまった。俯いたあとで後悔した。ああ、話しかければよかった、と。ひとりもの同士だから、きっと話も弾む筈だったろうに。もしかしたら相手から話しかけてくれるかもしれないと淡い期待をしていたが、待てども少年から声が掛かる事はなかった。そうして結局話をする機会を逃したのである。
(・・・同じ部屋だったんだよね、確か)
 自室まであと数歩と云うところ。そんな考えが頭に浮かび、足が止まった。同じ部屋・・・躰が強張った。今まで他人と寝所をともにしたことなぞなかったのだ。誰かと寝るなんて、恥ずかしい。怖い。ただでさえひとりで本を読んでいた子だ。どんなに無口で賢い子なのだろう。ぼくなんてきっと莫迦にされる・・・。
 考えれば考えるほど三治郎の頭の中は混乱してくる。目の前の障子を開ければすぐに部屋だ。彼は居るだろうか。そういえば教室に姿はなかったな。ああそうしたらやっぱり部屋に居るのだろうか?だとしたらどうしよう!
 恐る恐る障子を開ける。薄暗い部屋に、一筋の光が差し込まれ、次第に視界がはっきりしてくる。
(よかった!)
 中には誰も居なかった。静かな部屋は二人が布団を敷いて眠るには十分な広さが確保され、それでも三治郎は安心した。出来れば間を開けて眠りたかったのだ。
 足を踏み入れる。ギシ、と床が軋む音がした。
 そのときだ。
「きゃあッ!!」
 突然三治郎の足元の床が抜けた。すさまじい音を立てて、躰はその開いた穴の中に吸い込まれる。お尻と背中を底に強か打ちつけて、顔を上げれば、ぽっかりと四角い穴が開いていた。
「なに?!なになになにこれ?!」
 痛みになみだ目になりながら、起き上がる。立っても上に見える穴には頭二つ分ほどの高さがある。なんでこんなところに落ちたんだろう?混乱した頭に、突然大きな笑い声が降り注がれた。
「あはははは!!引っかかった〜!」
「えぇ?!」
 声のする方向――頭上を見上げると、そこにはさきほどまで懸念していたばかりの少年の顔があった。矢張り色白の顔に、さも嬉しそうな満面の笑みを浮かべて。
「まさかこんなに簡単に引っかかるなんて思わなかったよ!」
「・・・な・・・」
 茫然自失、と云った様子の三治郎を見下ろしながら、少年は嬉嬉として叫んだ。
「この床板はね、誰かが踏むとその重さで支えが外れて穴が開くって寸法なんだ。どんくらいの重さで起動するのか見たかったから、きみが落ちてくれてよかったよ!」
「ぼくが落ちて・・・?」
 ヒリヒリするお尻を撫でて、三治郎は疑問符を浮かべた。
「きみって軽そうだったから。なるほどね、きみくらいの重さでもこのカラクリは有効なんだ」
 ひとり納得する。その様子を口をぱくぱくさせて眺める三治郎。信じられない。まさか入学早々穴に落ちるなんて。しかも同室の彼が作ったらしい穴に。殆んど呆れに近い感情を抱いていると、ようやく少年は三治郎に縄を投げてくれた。登っておいでよと顔で合図する。
(変な子・・・)
 引っ張りあげられて、明るい部屋に戻ってきた。途端にペタンと座り込んでしまう。少年はまだ笑みを消さないまま、開いた穴を塞ぎにかかった。よく見るとこれは丁度両開き扉のような構造になっていて、外された床板の一部は元に戻せばきちんと嵌るようになっている。
「えっと、ところできみの名前なんて云うんだっけ」
「え?」
 ちょこんと向かい合って座られると、途端に顔を伏せてしまう自分が情けなかった。
「え?じゃなくて」
「な、名前・・・は、三治郎。夢前三治郎」
「三治郎か。ぼくは兵太夫。笹山兵太夫だよ。」
 兵太夫は笑った。笑うと、冷たい印象を受けた顔に光がさしたようになる。
「さっきのすごいだろう?ここに書いてあったんだ」
「・・・それって教室で読んでいたヤツ?」
「そ。この学校すごいな。こんなものまで置いてあるなんて」
 兵太夫が翳す書物には、学校図書館のしるしがついていた。教室で一心不乱に読んでいたそれと同じものだ。中にはさまざまなカラクリの仕組みと用例が事細かに書かれており、三治郎などは眺めただけでもほーうと情けない声を出してしまう。
「次はこれをつくるよ」
 そう云って兵太夫はにっこりと笑う。
 それが二人の始めての出会いだった。



 笹山兵太夫と云う人物はカラクリに夢中である。
 三治郎の頭にインプットされたその情報は、少なからずその後の三治郎の生活を気楽なものにさせた。自分と似たような匂いが、兵太夫にはしたのだ。周りのひとにはない独特の雰囲気。少しだけ変わっているところとか、よく似ている。自分だけじゃないと思えるだけ、三治郎には有難かった。

 しかし意外にも三治郎はは組に溶け込んでいた。怖いと感じたのはほんの一瞬で、ともに授業を受けている間にいつの間にか友達も増えていった。寧ろ、は組全員が友達と云っても良いほどに。未だひとと真正面から向き合うのは苦手で、視線を合わせられないものの、これは素晴らしい成長だった。
「昼休みなにしよっか」
「サッカーしようぜ!」
 ある日の昼食後、は組の教室ではいつもどおりののんびりとした時間が流れていた。団蔵の言葉にまっさきに反応したのはきり丸で、他のみんなもそれに歓声を上げて応えた。
「三治郎もするよね?」
 唐突に声をかけたのは、伊助だった。あまりは組と遊ぶ事のなかった三治郎に気を遣ってくれているのか、伊助は優しい笑みを浮かべてこちらを覗く。
 頷いてやると、それを皮切りにみな一斉に教室を飛び出していった。
「場所取んなきゃ!先取りされちゃう!」
「よし乱太郎ッ走れ!」
「えぇ〜?!」
 いつの間にか教室には、追いつけなかった三治郎が残されてしまった。
「は・・・早・・・」
 はぁとため息をつく。すっごい元気だ・・・気遣いの言葉をかけてくれた伊助も気がつけばもう居ない。まったくもって嵐のようなうるささである。膨らみかけた期待が、しおしおと萎んでいくのが自分でもわかった。
「三治郎」
「・・・!」
 名前を呼ばれて、振り返る。その人物を確認して、おやと頸を傾げた。いつもの場所・・・教室の一番端の席にきちんと正座して、兵太夫が本を読んでいる。その様子だと遊びに加わる気はさらさらないらしい。てっきりみなと出て行ったものだとおもっていた三治郎は、不意をつかれて狼狽した。
「兵太夫は行かないの?」
「別に興味ないよ」
 云い放つ。およそ子供らしくない彼の言葉は、返答に窮する。トゲがあるが、非道く不貞腐れているとか、仲間に入れない苛立ちとか云う感情のない言葉尻だ。まるっきり関心がない、そんな気持ちが含まれていた。
「まったくあんなものに夢中になれるなんてすごいよね」
開け放した戸板から、運動場のにぎやかさが伝わってくる。兵太夫は本から目を逸らさずに呟いた。
「三治郎はどうするの」
「ぼくは・・・」
 伊助に行くって云っちゃったから。矢張り行かなきゃいけないだろう。もしかしたら待っているかもしれないし。
「ぼく、行く」
「ふーん。あ、そ」
 刹那、鋭い眼光で、睨まれた。驚いて顔を伏せてしまう。
「兵・・・太夫・・・?」
「なぁに」
 間延びした答えが返って来た。そろそろと眼をあげると、兵太夫は既に本に視線を戻していた。こちらには興味ないと云った表情で。
「・・・!」
 ふいに心がざわめいた。兵太夫の態度に、流石の三治郎も苛立ちを覚えたのである。
 もう何も云ってこない兵太夫に背を向けて、教室をあとにする。イライラを抱えながら歩くものだから、廊下には三治郎の足音が荒々しく響いた。
 初日のあの一件以来、彼が自分以外のは組の連中と話をしている場面を見たことはなかった。かと云ってそれが心配なわけでもなく、あまり気にも留めなかったのだが。
(もうなんなの?!突然睨みつけるなんて!)
 怖いと云うより、悔しかった。莫迦にされた気が、した。
 ようやく共同生活にも馴れて、楽しく学校を過ごせるとおもったのに。同室の彼なら、自分と似ているとおもっていたのに。
 だのに彼はひとりを好んでいるらしい。休み時間のたびに教室から姿を消しては、図書室に入り浸っている彼。よく両手に分厚い書物を抱えて、自室に戻っていく彼。ひとと関わるのを、自ら行おうとしない彼。
(仲良くなれるとおもったのに)
 似ているだけではうまくいかないのかも、と、三治郎はうんざりした。


「あれ?兵太夫は?」
 三治郎の後ろに誰もいないのを確認して、庄左ヱ門が声を上げる。と同時に、は組9人の視線が三治郎に注がれた。
「・・・兵太夫、は・・・」
「放っとけよ庄ちゃん」
 どぎまぎする三治郎をさえぎって、団蔵がため息混じりに云う。
「あいつ誘ったって来ないんだよ。ずっと本ばっか読んでさ」
「そうそう。この前も鬼ごっこしようって云ったら冷たい眼で睨まれて」
 虎若も同意した。冷たい眼、三治郎はその言葉に反応する。
「兵太夫って運動嫌いなのかな」
「でも実技は普通に出来るよな。しんべヱじゃないんだから」
「なにそれー?!」
 きり丸の言葉に、しんべヱは半泣きで抗議した。入学当初よりもややふっくらしたしんべヱを慰めるように、乱太郎は苦笑する。
「三治郎はなんか知らない?兵太夫のこと」
「そういえば同室だったよな、二人って」
 乱太郎ときり丸が同時に問うた。二人の視線がもろに浴びせられる。きゅう、と心臓が萎んだ気がした。
「しっ・・・知らない・・・」
 絞る出すような声が出た。自分でも悲しいくらい情けない声だ。そしてすぐに眼を逸らしてしまう。乱太郎たちはそんな三治郎の様子を気に留めるふうでもなく、「ふーん」とだけ呟いて互いに顔を見合わせていた。
「兵太夫って云えばさぁ」
 団蔵が口を開く。
「この前非道い目に合ったんだよ」
「非道い目?」
 全員の視線が団蔵に向き、三治郎はようやく顔をあげられた。
「うん。ちょっと訳あって学園の裏庭に行ったときにね、兵太夫が居たんだよ。何してるのって聞いた。そうしたらあいつ振りかえって手招きするんだよ。こっちおいでってさ。で、よくわかんないけど近寄っていったんだ。そうしたら・・・」
 と、言葉を切った。眼が、庄左ヱ門の頭の向こう側に向けられている。
「団蔵?」
 団蔵の視線の先を辿って、全員が息を呑んだ。
「兵太夫!」
 そこには兵太夫が立っていた。しらけた顔で、片手に茶けた書物を抱いてこちらを見ている。その様子だと、会話は全部聞かれているようだった。
「どうしたの?遊びたいの?」
 うわぁぁと云う表情を隠さない団蔵を背中で隠し、庄左ヱ門が問いかけた。兵太夫は頸を振る。そして、
「莫迦みたい。あれはきみが莫迦正直にこっちに来たから悪いんだろ。ひとのカラクリ壊しといてよく云うよ」
「な・・・ッなんだって?!」
「それと、悪口云うんなら正面から来いよ。ぼくは逃げも隠れもしないからな」
 云い捨てると、踵を返し兵太夫は学園の裏側に消えた。わなわなと肩を怒らし、そのあとを追おうとする団蔵を抑え留める。
「なんだよあいつぅ!!」
「団蔵、兵太夫になにしたのさ」
「何もしてないよッて云うかぼくが騙されたんだから!」
 地団太踏んで、伊助を睨んだ。
「近寄ってったら突然頭に虫が落ちてきたんだ!あんないたずら誰だって怒るだろ?!」
「それでカラクリ壊したわけね・・・」
「兵太夫が悪いんだ!」
 団蔵の云うカラクリの全貌を、三治郎は知っていた。確か、抜ける床板の応用で兵太夫特性の罠だったはずだ。予め用心縄を仕掛け、それを踏むと頭上に物が落下する仕掛けで、眠る前よく兵太夫はその設計図を床に広げて眺めていたものだった。
「ムカつくなーもう!!スカした顔してさッ」
 ああ、兵太夫って・・・。三治郎は心の中で呟いた。ぼくだけでなく、みんなに罠を仕掛けてたんだ・・・。
「しかも殆んどが毒虫だったんだ!信じられないよ!」
 よく生きてたなーとは組の絶賛を受け、その後も団蔵の兵太夫への愚痴は続けられた。なんだかんだ云いつつも盛り上がるその話題に、結局三治郎は弾き出されてしまった。どうやら知らないところで兵太夫はさまざまな罠を仕掛けているらしい。あーじゃああれも兵太夫の仕業だったのかな、と思い出したように話す乱太郎を筆頭に、次々と兵太夫の悪巧みが暴かれていった。
(・・・戻ろ)
 そろそろと後ずさる。三治郎が居なくなったところで、きっとみんなは困らないだろう。この様子じゃあ休み時間は兵太夫の悪口で終わってしまう。
(でもみんなもそこまで云うことないじゃない)
 おもっても口には出せない。話を聞く限り、悪いのは確かに兵太夫だし、先刻まで三治郎も腹を立てていたから、その傲慢そうな態度に怒りを感じないわけではなかった。だからは組の怒りもわかる。しかし、カラクリを作っている兵太夫の顔はとても生き生きとして楽しそうだった。
(本当は兵太夫は、カラクリをみんなに見せたいだけなんじゃないかなぁ)
 兵太夫とは付き合いが短いが、同室な上に何かと話しかけてくるため、まわりのは組よりも三治郎は兵太夫について詳しい。初めて逢ったときからいろいろな話を聞かされた。カラクリが大好きなこと。カラクリを遣った忍術を極めたいこと。カラクリを作っているときが一番楽しいこと。
(兵太夫も誤解されるような態度取らなきゃいいのにさ)
 何故かいつも捻くれた言葉遣いばかりする。そういうところがよりみんなとの仲を悪くさせているんだろうな。
「三治郎ー」
 ふと耳なれた声が聞えた。びっくりして辺りをキョロキョロ見回すと、曲がり角のところからこちらを覗く双眸が見えた。
 兵太夫が、頬に油をつけた顔をにっこりさせている。
「兵太夫・・・」
 まだ向こうにはは組のみんなが兵太夫の悪口を云っている。聞えはしないかとびくびくしている三治郎に近づくと、再び笑いかけた。
「別にぼくのことは気にしなくていいよ。慣れてるし」
「・・・え?」
「ぼくの悪口大会だろ?わかってるよ、自分がなにしたかくらい」
 兵太夫は眼を伏せた。睫、長いんだ、と三治郎はおもった。
「ねぇ三治郎。新しいカラクリしかけてたんだ。見に来ない?」
「いまから?」
 休み時間終了まであと何刻だろう。あまり時間は経ってない気がするが、長居は出来ない。
「大丈夫。すぐそこだからさ」
 兵太夫の指し示されたのは、学園の裏庭。団蔵が騒いでいたそこだった。
「ほら、行こう!すごいんだから」
「えええ?」
 腕をつかまれてしまっては抵抗できない。兵太夫の手の暖かさが伝わってきて、心臓は飛び上がってしまった。三治郎の気持ちも知らず、兵太夫は裏庭へと三治郎を引っ張っていった。


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