彼を通して見える世界は、青かった。 目を閉じている間にも世界は動いてその蠢きを触覚するたび恐怖で肌が震える。その微動にすら彼は手を伸ばすから、おれは目を閉じて、雷蔵の吐息を感じる。「ああ」、ほう、と囁く微温い息と、淡いキスとを目蓋で受けとめた。「どうして震えているの」、雷蔵は問うた。そんな事。「そんな事、わからない」、すると雷蔵はふふっと笑って、「可愛いな、三郎は」と言った。 寒さと乾燥で皺の寄った雷蔵の手の甲を掬いあげて、それでおれは自分が救われる事を願ったんだ。そうでもしないと破綻する、こころの何処かがちくちくと痛む、だから、おれはお前を求めるんだよ、雷蔵。 「それでもいいのか」 まるで深海を漂うくらげのように、ゆらゆらと曖昧な輪郭を作りながら雷蔵はおれの周りにたゆたう。優しくて溶けてしまいそう。彼の、優しさに、おれは溶けてしまいたい。 「まるで利用しているみたいだから」 だから、あまり近づくな。 牙を剥いて疵を抉って、お前を疵つけない可能性なんておれには存在しないから。 「きっと疵をつける」 動き始めた生は世界を憎みながら、決して交わる事のない線を描きながらおれとは違う方向へと、進んでゆく。 嘯いて囁いて掠め盗ってそしておれを殺す。 「そんなの、いいよ」 目蓋を開けると差しこむ光に、眩暈がした。 目の前で雷蔵が微笑んでいる。笑い皺の寄った目の端、短く揃った睫毛の震え、丸く黒い瞳、そこに映る自分の顔。 愛しい人間と同じ顔。 「怖い」 何かがひたすら怖かった。だから縋るように身体を抱いた。冷えた空気より少し高いだけの体温はおれに安心をくれた。それがどうしようもなく優しかった。 「ぼくもこわい」 でも、と雷蔵は耳元でいう。 「世界がまだ綺麗だって信じてる」 耳朶を浚う声と息に生を感じる。 世界は青い。青く透き通って、でも、それは上澄みだけの事。 雷蔵は、お前は、それに気づいているか? 沈殿した汚さを見ても、笑っていられるか? 「ありがとう、三郎」 まるで何でもないというような声音でそう言って、雷蔵はおれにキスと抱擁をくれた。 [ 2010/01/10 ] |