「……なあ、さんじろー」
 深い場所で唸る心音と絡まって、虎若の、すっかりと声変わりのした低い声が鼓膜を打った。心地好い不協和音にうっとりとする。このままこうして、眠ってしまいたいくらいだ。虎若は無理に引き剥がそうとはしないだろうし、自分に本気さえあればきっとたやすく実現できる。三治郎は、しかし瞑っていた瞼を薄く開いて、「なぁに」、と、寄り掛かっている彼とは違う、平たい声を発した。
「いつまでこうしてるんだ?」
 彼の言葉には三治郎を邪魔に思う気持ちは含まれておらず、ばかみたいに真っすぐな、純粋な疑問だった。
 廊下と同化した縁側に腰を下ろし火縄銃に関連する書物を読んでいた虎若の胸に、三治郎は唐突に潜り込んできた。夕方の帳が降りた世界は、皐月といえどもまだ肌寒い。そ、と三治郎の額にかかった前髪を払うと、火傷の痕が目立つ指先に彼の低い温度が伝染った。
「私が満足するまで」
 淡白な声音で三治郎は言う。
「寒いだろ」
「別に、平気」
 ふ、と浅く息をつき、虎若は視線を文字から遠くに連なる山々を望んだ。紫に衣を替えた空は淡く揺らぎ、壊れてしまいそうな危うい三日月が昇っている。
「……虎、が、」
「ん?」
 ぎゅうと胸板に顔を押し付けていた三治郎が、口を開いた。
「虎があったかいから、平気」
 顔を上げる事はなく表情は窺えなかったが、その震える言葉に、愛おしさが強く胸に湧いた。
 こどもをあやすように頭を撫でてやると、三治郎の呼吸が少しだけ和らいだ気がした。つい先頃までの張り詰めていたそれではなく、なだらかに繰り返される呼吸。
 虎若は目を山から書物に戻し、三治郎を抱きかかえるように姿勢を直した。
 ――引っぺがしてくれてもいいのになあ。
 けっして柔らかくない、筋肉の付いた肌を布越しに感じながら、三治郎は墜ちてくる夜の風を頬に受けた。



おもえばいつも独りだった




(2011.05.19 titled by いじわるあのこ)