いつだか苦無で付けた切り疵が黒い痕になって残っている。私はそれを無意識になぞる。腕の皮膚が一番薄い部分、手首のそこに数本の黒い線。いとおしげにその疵を撫でている私を見て、文次郎は顔を顰めた。 「やめろよ」 密着した肩から彼の体温を感じる。文次郎は体温が高くて、私は低いのでふたりが合わさると丁度良い温度になるのだ。 「やめろよ、バカタレ」 「うん」 腹這いになり、少し上から落ちてくる文次郎の声に適当な返事をする。文次郎は右腕を枕にして私が手首をなぞっているのを見下ろしていた。 脱ぎ捨てられた寝巻きが無造作に放られていて、月の光が筋になりそのうえに落ちる。 青暗い部屋で文次郎とふたり、ひとつの布団の中で私はひたすら疵痕を撫でていた。 「いい加減その癖治せよ」 文次郎の左腕が伸びて私の手首を掴んだ。じわり、と熱がそこにわだかまる。 何故だか私は泣きたかった。 文次郎が心配してくれているのを知っているから、それに抵抗する術を知らないから、だからこんなにも悲しいのだと思う。 私は己の無力さを嘆いた。 何もできない。保身ばかり考えて自分は何もできない、と。 そして怒りは己自身に牙を剥いた。 気がついたらひたすら無心で左手首を苦無で切り刻んでいた。 いつしか癖となり私の体に染みこんでいったもの。それは文次郎と一緒にいるようになっても変わらなかった。 「うん、でもこの疵があるから」 ふしの太い文次郎の指を、黒い疵痕と同じくらい愛しく思う。しかし、その愛おしさは己でつけた疵と同等のものでは無い事にも気づいていた。 「この疵があるから私は私なんだ」 私は文次郎の瞳を覗き込む。 いつも見つめるとすぐに照れたように顔を背ける彼が、じっと私を見ていた。 首を伸ばして唇を食んだ。歯列をなぞり、舌を絡めた。 つかまれたままの手首に熱がたまっていく。じわりじわりと、熱くなった文次郎のてのひらが私の肩を押して敷布団に組み敷いた。 唾液が溢れ、それを嚥下するのに苦労したが構わなかった。 このままふたりの体が溶け合って、ひとつの固体になってしまえば良い。 文次郎の背に、掴まれていない方の手で、小さな、本当に小さな疵を付けた。 彼がそれに気づく事は、きっと一生ないだろう。 皮膚は毎日毎日剥がれ落ち、疵を塞ぎ、新しい皮をその上に被せる。 そう思うと、切なさと寂しさがない交ぜになって、私はまた泣きそうになった。 |