意識が覚醒したのは目が覚めて暫く経ってからで、隣りで舳丸がすやすやと寝息をたてているのに気づくと間切は、ぽつんとひとり取り残された気がして落ち着かなかった。一緒に寝れば気が付けば必ず舳丸が起きていて、勝ち誇ったような笑みを浮かべているのに。どうして今日に限って眠っているんだ、と勝手に腹が立った。
「舳」
 そっと肩を叩く。舳丸は、ん…と小さく唸ったが目を開ける様子はない。また少しいらっとした。こう言うところが餓鬼だ餓鬼だと言われるのだと思う。わかってはいる。わかってはいるのだけど。
 間切たち水夫と舳丸たち水練の部屋は別で、若手の舳丸は重と同室だった。しかし重はしょっちゅう網問と遊びたがって水夫部屋に乗り込んでくるので、間切は舳丸がひとりいるこの部屋にやってくるのだった。
 舳丸はやさしい。無理強いはしない。間切の様子を見て、抱きしめてくれたり口付けをくれたりするが、決して己の欲望をむき出したりはしない。だから間切は安心して、舳丸とからだを寄せ合って眠れるのだ。
「…」
 さら、と紅い髪の毛を撫でる。
 本人は嫌っているが間切はこの日本人離れした髪が好きだった。自分も色素が抜けた金色をしているから、同属意識なのかもしれない。何にせよ厭な感じはしなかったし、何より舳丸が間切の髪について何も言わないのが嬉しかった。網問などは、初めて逢った時から間切の金髪を物珍しそうに見ては、話のネタにしていたのだが。
 そう言えばこうやって舳丸の寝顔をじっくり見たことは今までなかった気がする。いつも先を越されそれが当然だと思っていたから。
 改めて間切は舳丸を見つめた。薄闇に慣れた目は自然と舳丸の端正な顔をなぞっていて、心地良いなと思った。
 きれいに整った鼻筋、長い睫。そして、右頬に刻まれた疵跡。間切は手を伸ばすと、それに触れた。己の左頬にもついているが、間切は決して疵跡が男の勲章だとは思えなかった。間切にとって疵とは消し去りたいもので、忌々しい烙印でしかなかった。舳丸の頬の疵は海上戦でついたに違いなかったが、同じように敵の刀で斬られた頬の疵を、お揃いだ、なんて笑えたり出来なかった。
(きれーな顔…)
 ぼんやりと眺める。町に出れば必ず人目を引く舳丸の顔。間切から見ても、他の海賊衆から見ても舳丸は美形の部類に入る人間だった。だからどうと言うことでもないが。
(何で俺なんかと一緒にいるンだよ)
 自分なんてただの水夫のひとりで、幼い頃から大人を信用しないで生きてきた、そんな捻くれた子供が此処まで生きてこられたのは、舳丸がいたからだった。何かと面倒見の良い舳丸は、ひとりで部屋の隅に蹲っている間切に良く話しかけてくれた。非道く鬱陶しくて、煩わしくて、恥ずかしくて、最初こそ返事もろくにしなかったがやがて舳丸には懐くようになっていた。7つと、12と言う年の差も丁度良かったのかもしれない。少しずつ仕事を覚えていく間切の頭を、舳丸は笑って撫でてくれた。
(俺なんて本当は疾うにくたばってて良い人間なのに)
 そう、本当なら。
 今こんなところにいない。
 偶にどうして自分は此処にいるのだろうと焦燥にかられることがある。
 自分は此処にいても良いのか、と。
 帰る場所なんてとっくに失くしていて行く宛なんてなくて流れ着いたのが此処、兵庫水軍だった。誰も受け入れてくれないと思っていた。誰にも必要とされていない、と。
(なのになんでアンタは)
 初めてその腕に抱かれた時は、恐怖で身が竦んだ。二度目に抱かれた時は、何なんだこいつは、と思った。次に抱かれた時、間切は問うた。「俺は此処にいてもいいのか」と。
 舳丸は笑って、良い、と言った。
 此処がお前の帰る場所だから、と。
 何処にでも行ける、だから此処がお前の家だ、と、舳丸はそう言ったのだった。
「ん…まぎり…?」
「あ、…悪い、」
 寝起き独特の掠れた声がして、間切は手を舳丸の頬から引いた。
「今何刻だ…」
「わかんねぇ」
 舳丸は髪の毛を撫でつけると、からだを起こしたまま自分を見下ろす間切を見つめた。
「…なんスか」
「いや…」
 ふっと、笑いながら言うものだから、間切は赤面した。
「…アンタが起きねぇから、…心配した…」
 口下手なのはお互い様、だが舳丸のほうが大人だ。ぐだっと身を寝かせた状態を崩さず、「何か考えてたな、まぎり」と言った。
「俺が考えちゃ悪いっスか」
「別に」
「…アンタいっつもそうだな」
「そうか」
「そうっすよ」
 大の男と一緒にいて、こんなに安心するのはもしかしたら初めてかもしれない。ずっと誰かの隣りでは不安で眠れなかった。だが舳丸となら、そっとやさしく髪の毛を梳いてくれるその手が好きだった。
「もう少し此処にいろよ」
「ゎ、」
 急に手首を引かれて、舳丸の胸に抱き込まれた。ふわっと舳丸の匂いがする。安堵、した。
「お前のいる場所は此処だろ」
「…」
 間切は舳丸に抱かれながら次第に力が抜けていくのが分かった。
「ずるいっすよ、ほんと」
 からだが震えて、舳丸の温かさに涙が出そうだった。





ひとり、帰れない




[ 2008/01/16 ]