なんだって日の出ている時分からこんな埃臭い場所でしなきゃならないんだ、と責めるように押し付けてくる金吾の熱い舌を咥内に感じながら、兵太夫はずるずると倉庫の床板の上に落ちていく。このまま床が抜けて自分もろともこいつも消えてしまえばいいのに。次第と熱を帯びてくる頭に、およそ叶わぬ考えがよぎった。
「んぅ、」
 舌の動きは鋭くて、噛み付かれているようなその状態に不満を感じ、応酬する形で兵太夫も金吾の前歯を舌でなぞった。離された隙に、は、と息を接ぐ。そして再びに落ちた口づけを、同じように受けとめる。
 つ、と動いた金吾の指が鎖骨を滑り、思わず身を震わせた。
「……残ってる」
「お前がしたんだろ」
 笑みを含んだ言葉にそう返せば、昨夜の痕を愛おしげに舐められた。
 無防備に吸われ、歯を立てられると、昨日の情事が生々しく甦ってくる。幾度となく身体を重ねても気恥ずかしさは拭えず、それは金吾の、肌を一枚ずつ捲り上げすべてを暴くような責め方のせいだと兵太夫は思っている。粗雑ならばいっそう壊すくらいに抱けよ、と願っても、彼は何度だって兵太夫を優しく抱く。しなやかな指の動き一つ一つに身体が反応し、兵太夫は口から洩れ出る声を堪えられず、つい唇を強く噛みしめてしまう。
「兵、」
「……んァ?」
 既に蕩けた目で金吾を見ると、指先で唇を押さえられた。拭き取られた血がその指先を染める。
「唇、噛まなくていいから」
 そう言って首筋に口づける金吾に、だって、と言葉を続けた。
「誰か、来たら……っ」
「誰も来ないよ」
 根拠もなく言い放ち、かり、と首の後ろを噛んだ。兵太夫は、はぁ、とため息を吐き出し、身体から一気に力を抜く。
「お前のせいだからな」
 無防備なのはそっちのほうだ、と兵太夫は言って、金吾の首に腕を廻した。
 熱い手のひらが肌を舐めるたび、強請るように身体が動くのが気に喰わなかった。意思とは関係のない本能の回路が、ひり付くような熱を求めている。
「っも、」
「――ん?」
 金吾の額に浮かんだ汗の珠が、ぱた、と頬に落ちた。
「もっ、と」
 これだけ与えられてもまだ足りないのか、と兵太夫は自嘲した。言葉を閉ざしてくる唇の乾燥がもっと欲しい。それは、もしかしたら、潤してやりたいと自分が思っているからなのか、兵太夫にはわかりかねた。
 日を浴びてかさついた唇が齎す安心を、信じてしまいたくなる。
 肌と肌を隙間なく合わせれば、互いの汗と精液との混濁したものが大腿の上を流れていく。はああ、と深く長く息を吐き出し、兵太夫は縋るように金吾の頭を抱きかかえた。
「……ぜんっぜん成長してないのが、すっげえムカつくんだけど」
 それがいつとの比較なのか金吾にはすぐ合点がゆき、はは、と渇いた笑いを零した。
 圧し掛かる重みや胸もとを探る手の体温は、あの夏の日の、顔も知らない上級生とはまるで違っていて、それが余計に、金吾の“変われないでいる優しさ”を見せつけた。
 顔の知らない上級生を蹴散らした金吾も、あの時に疵を負った。そっと指を滑らせてみると、平坦な額に滲んだ汗が指先に絡んだ。
「無駄に図体ばっかデカくなりやがって」
「悪いって」
 本気で悪いとは思っていない事は知っていたが、兵太夫はそれ以上は口を開かなかった。
「せっかくきれいな指してんのに」
 薄暗い部屋の片隅で蹲っていた兵太夫の手を取って、噛み切ってしまった指先を一本ずつ、金吾は舐めた。やめろ、とは言わなかった。言えなかった。ぐらつく視界が開け放たれた戸から差し込む光に淡く滲んだ。あの時、世界がもう少し優しかったなら、泣いてもよかったのだと兵太夫は思った。もう少し、せめて、自分の代わりに疵口を舐めてくれる金吾くらいに優しかったなら、きっと泣けていたのに。
 乱された紫の制服の襟元に触れた金吾の手を制して、兵太夫は金吾に口づけた。鉄の味がした。
「あ、そうだ兵、委員会――」
 思い出したように顔を上げた金吾の頭を平手で叩き、ばか、と兵太夫は言った。
「こんな状態で行けるかよ、ばか」
「……ごめん」
 今度は本気で謝っているらしい金吾に、兵太夫は唇を尖らせた。
 日が随分と傾いている事は、閉め切った倉庫のなかにいてもそれとわかった。虫の鳴き声がささやかに聞こえる。
 鍛錬を終えた後に、渇いた土の上で蝉の死骸が一つ、転がっていた事を、金吾は今さらながらに思い出した。






世 界 が も う 少 し 優 し か っ た な ら、






(2010/10/13)