「あいしてるよ」

 時折兵太夫は、何かに追われているかのような切迫した表情でそんな事を言っては三治郎を抱きしめる事があった。それはふたりきりの部屋の中での事であったり、他の同級生が見ている目の前であったり、様々だったが、一貫して言えるのは、「あいしてる」と言う兵太夫の顔がまるで阿呆のように焦点が定まっておらず、その行為に何の意味があるのか三治郎には全くわからない事であった。


「あいしてるよ、三治郎」
 今日もまた、兵太夫はそう言って三治郎を抱きしめた。ふたりきりの部屋の中は春がやってくる季節独特の香りが漂っていて、温度は少し肌寒い程度だった。
「あいしてる」
「ねぇ、」
 三治郎は兵太夫の抱擁を拒んだりはしなかった。しかし、近頃顕著になってきたこの行為の真意を確かめたいと思った。
「どうして今さらそんな事言うの?」
 兵太夫と三治郎は互いに想い合っている。三治郎にやや淡白なきらいがあるが、いちいち「あいしてる」だのなんだのと言い合わなければならないほど修羅場と言う状況でもない。それなのに、どうして逐一「あいしてる」なんて言うのか、そしてわざわざ抱きしめるのか、三治郎はわからなかった。
 兵太夫は抱擁の力を強めて、「だって」と言った。
「だって、言わないと三ちゃんどっかに行っちゃうだろう?」
「えっ」
 意外な答えに、三治郎は目を丸くする。
 こちらを見ている兵太夫の瞳は、長い睫が影を作り、目の淵を覆っていた。その表情が非道く寂しげで、三治郎は何だかいけないことを言ってしまったかなと思った。
「だから言うの。嘘でも良いよ。僕が三ちゃんを好きって気持ちが、三ちゃんに伝わればいいんだから」
 そう言って、再び兵太夫は三治郎を抱きしめた。
 兵太夫は他人から愛された事がないのかもしれない。兵太夫の過去については三治郎も知っているつもりだった。しかし、未だ三治郎にもわからない部分がある。そのわからない部分が、兵太夫の性格を歪ませる結果になったのだろう。
「大丈夫だよ」
「……」
 三治郎はぎゅっと兵太夫の背中に腕を回した。
「僕は兵ちゃんを好きだし、ずっと傍にいるよ。嘘なんかじゃ、ないからね」
 いくら言っても、兵太夫は信用しないだろう。騙されている、と心の何処かで思っているのかもしれない。しかし、と三治郎は思った。
 嘘じゃない。嘘じゃないよ。繰り返し繰り返し唱えて、やがて兵太夫が小さく頷くまで、ふたりは抱き合ったままでいた。



 やがて、春がやってくる。



















箱庭

(嘘をついて このまま 騙していてね)










箱庭〜ミニチュアガーデン〜 / 天野月子
[ 2008/04/18 ]