嘘を、ついてしまった。 生まれて初めて、彼についた嘘だった。 いや・・・違う。 初めてなんかじゃないのかもしれない。 自分が気付かなかっただけで、わたしは、たくさんの嘘を彼につき続けていたのかもしれない。 嘘を言えば、彼が少し安心するとおもった。だから・・・。 ねえ兵ちゃん。 ひとは死んだら星になるって言ったのは、兵ちゃんじゃなくて。 わたしのほうだったんだよ――。 何度目かの実習。何度目かの組み合わせ。 わたしはいつもと変わらないまま、その日を迎える。 ペアはいつも一緒、兵太夫と。 寒さで、まさに身も凍るような日だった。 押し黙っているのは、いまが実習中だからだ。わかっているけれど、頭の隅っこのほうで、「話したい」気持ちが一人歩きしている。隣で兵太夫は険しい目付きをつくり前方の叢を睨んでいる。 わたしは空を見上げた。月も出ない、忍びにとっては絶好の日和だった。 仲間内での訓練実習は、いつ何処で、誰に突然襲われても対応できるようにするため。土井先生はそう言って、だからこそ本気でやれと言った。それは5年生の初めての実習での事だった。 忍び同士の裏切りは日常茶飯事だ。そんな話を聞いたこともある。 昨日仲間だった忍者が、今日もう敵だった。そういうことが普通に起きて、以前の仲間と殺しあうことだってないわけではない。無論、は組の誰かと、将来切り結ぶ事になるという可能性だってある。 それに対応するための、実習だった。 兵太夫が何を言いたいのか、わたしにはわからない。 わたしがきちんと兵太夫の気持ちを飲み込めていないのも、彼はきっと知っている。 三日前の夜に話したことは、まだ彼の中に残っているだろうか。 「・・・三治郎」 蚊の鳴くような、声が聞えた。 地面に腕を置き、それに躰を載せるような状態で佇んでいたわたしは、また同じ体勢をとっていた兵太夫のことを見上げて「なぁに」と口を動かす。 土の冷たさに手がかじかんだ。 「ぼーっとするなよ」 「・・・ごめん」 よもや彼にそんなことを言われるとは。そうおもい、思わずくっくと笑ってしまった。 普段なら立場は、逆だろうから。 「でもまぁ、仕方ないか。逃げてきてからずーっとこのままだったもんな」 叢の向こうになんの気配もないことを確認して、ようやっと兵太夫は息をついた。立ち膝だったのも、正座の状態に変える。 わたしは相変わらず空を見たり、周りに眼を凝らしたりしていたが、兵太夫が「小休止」の姿勢をとったのを真似することにした。 あたりは木々に覆われて、容易には見つからないだろう。ほっとため息をついてから、背後にあった幹に躰を凭れかける。 「静かだね」 「みんなもくたびれてくるころだろうよ」 わたしたちの会話しかそこにはなくて。時々風が、葉っぱを揺らすだけで、周りは静まり返っている。先刻まで庄左ヱ門と喜三太の追跡に逃げ惑っていた慌しさが、嘘のようだった。 「・・・どした。」 あまり口を利こうとしないわたしを、兵太夫は訝しんだ。 「そんな気を張らなくても、しばらくは大丈夫だって」 「うん・・・」 そうだね、と笑顔を作ろうとしたが、俄かに頬に鈍痛が走り、反射的にそこを右手で覆っていた。ズキ、と音が聞えるような痛みだった。 「大丈夫か?」 頷く。 寒さのせいもあるのだろう。もう忘れかけていた疵跡が、再び疼きだす。 「まだ、痛むんだ・・・」 「大丈夫だよ」 わたしの目には、兵太夫の顔がよく見えた。眉根に皺を寄せて、心配そうな表情をしている。 「もうやってから大分経つのになぁ・・・」 一体どこまで深く疵を負ったのだろう。今更そんなこと考えても仕方のないことだ。 わたしは未だにズキズキと疼く頬を撫でながら、頭の中に湧いていた言葉を整理しようとした。 どうしてそんなに心配するの? いまだってほら、そんな顔してる。 言葉は出掛かり、幾度となく嚥下していく。 わたしがなにも言わないのを不思議におもったのか、どうなのか、兵太夫は戸惑ったように視線を泳がせた。 「・・・寒」 厭な静寂が、兵太夫の暢気な言葉で破られる。さすがに居心地が悪くなったのか、兵太夫は顔をわたしから外した。 「誰もいないよね・・・」 「気配は、ない」 そしてまた沈黙する。 なんだかおかしいのは、わかっていた。 いつも興奮して実習に臨むのに、今夜はいまいちその気にならない。 さっきだってそうだ。庄左ヱ門たちとは一度も切り結ぶことなく、ただ散り散りになったりまたくっついたり。何度も同じことを繰り返して、結局逃げるばかりだった。 兵太夫もそんなわたしの様子を気付いているようで、軽口のひとつも叩かない。 わたしたちの間には、意味のない状況確認の台詞と、苦い沈黙が絡まりながら訪れては、去って行った。 言いたいことは山ほどある。 だけどなんでだろう。言葉になって、出てこないのは。 兵ちゃんはなにを言いたいの? なんでも気付いてくれるなんておもわないでよ。わたしだって、わからないことぐらい、ある。 どうしてそんなに怖い顔をしているの? どうしてそんなにわたしを心配してくれるの? もう、子供じゃないのに。 「ね。」 「え?」 不意に兵太夫が口を開いた。 ――そのときだ。 「散れっ!!」 思いがけない力で、わたしは兵太夫に突き飛ばされた。 突然のことに状況が飲み込めず、わたしは地面に強か躰を打ち付けた。 「なに、兵ちゃ・・・」 「逃げろ、三治っ」 その声を聞いたのも束の間、わたしは闇に光る苦無の姿を認めてしまう。 「・・・っ!」 向かってきたのは2本。使い古された苦無はカッカと音を立ててわたしのいまさっき伏せていた地面に突き刺さる。すんでのところでそれを交わし、転がるように叢から離れた。 改めて自分の置かれている場面を省みた。二人がいた場所―草の陰に、数本の苦無が無造作に刺さっている。兵太夫に突き飛ばされなければ、いまごろあの苦無でやられていた。 (・・・こんなことに気付かないなんて) 邪念のせいだ、と自分を叱責する。情けない。兵太夫に、助けられてしまった。 考えている間も、攻撃はやまない。誰か、なんてことは知らない。ただ、向こうも「本気」であることは確かだった。 「・・・痛っ」 破れるような。鋭い痛みが走る。また、頬だった。 「冗談じゃないよ・・・」 兵太夫はどこに行ったろう。うまく逃げただろうか。 と、わたしは、なんの気配も感じ取れていないことに気がついた。 ――おかしい。 心臓が縮んだ。一瞬、思考が止まる。・・・そのとき、一本の苦無がわたしの頬を掠めていった。 鈍い痛み。滴る血のあたたかさは感じるが、その苦無がどこから来たのか、どこへ逃げていけばいいのか、そんな単純なことが、まったくわからなくなった。 「・・・っ」 息を呑んだ。冷気が肺に入ってくる。 そして脱兎の如く駆け出した。 冷たい、空気が頬をかすめて、疵口がぐずぐずと痛む。 おかしいのは頭ばかりではないようだった。 足も、腕も、自分のものでないように自由が利かない。 (嘘でしょ・・・っ!) 暗闇のなか、頼りの目も最早役に立っていなかった。 ・・・見えない。 (や・・・っ) ――突然、足元が揺らいだ。 「うわぁっ?!」 「三治郎っ!!」 耳に届いたのは、兵太夫の怒号。 声の方向に顔を向けようとしたとき、躰が、支えを失い一挙に降下していくのがわかった。 「へいだゆ・・・っ」 何とか叫ぼうとしたが、耳の奥が厭な音を立てて軋んだ。・・・気持ち悪い。 浮遊感と不快感でもう何がなんだかわからなくなった。 ただ、力のない指先に、冷たく柔らかいなにかが触れたのはわかった。 そして意識は、暗闇に埋没した。 「・・・痛っ」 「三治郎!」 わたしが声をあげるのと、兵太夫がわたしを呼ぶ声を聞くのは、ほぼ同時だったようにおもう。 躰中の痛みに眼を開けると、あたりはあいかわずの暗闇だった。・・・だけど、目の前で渋い顔をしてわたしを覗き見る、兵太夫の顔ははっきりと見ることができた。 「へ・・・だゆ・・・?どしたの・・・」 「どうしたのじゃない!」 「・・・え?」 兵太夫の叫び声が頭に反響して、くらくらした。 いまだ覚醒しきらない意識に、必死で記憶を巡らそうと試みる。しかし無駄なことだった。記憶は突然に途切れている。 兵太夫の怖い、怒った顔が何を意味しているのか、わたしにはわからなかった。 「あんなところから落ちるなんて・・・おまえ、どうかしてるぞ!」 「な、にが・・・?」 呆けたことを言っているという自覚は、悲しいくらいあった。 だけど、わからないものは、わからない。 「待って兵ちゃん・・・意味、わかんない・・・痛っ!」 「動くなよ、バカ!」 躰中が軋むとはこういうことなのか。 とりあえず上体を起そうとしたわたしを、兵太夫は慌てて止めた。・・・その前に、あまりの痛みに自分から動くのはやめたのだけれど。 「お前、崖から落ちたんだぞ」 「・・・崖・・・」 「あそこ。見えるか」 指差す方向・・・殆んど空に近いその場所を見た途端、先刻までの自分を鮮明に思い出した。 ――落ちた。 あの浮遊感。足元の覚束なさ。 「さっきから呼んでるのに・・・全然起きないから・・・っ」 兵太夫は肩を震わして、わたしの頬を撫でた。 骨ばって少しばかり硬いが、それは、最後に触れた柔らかい感触とおなじだった。 ・・・そっか、あれは・・・。 落ちるわたしの手を掴んでくれたのは、兵ちゃんだったんだ・・・。 そして、その事実に気付いた途端、わたしはまたひとつのことを思い出す。 「兵ちゃん?!」 そして、彼の名を呼ぶ。 「兵ちゃんも落ちたの?!」 「・・・いや、落ちたっていうか・・・」 言いよどんでいるが、よく見ると兵太夫の制服はボロボロだった。無論、わたしとおなじように。 心臓が萎縮したのが、わかった。 兵太夫を巻き添えにしてしまったのだ。後悔と、申し訳なさで胸が潰れそうになる。 「ごめん・・・わたし・・・」 「何言ってんだよ、そんな躰で」 「え?」 仰向けになった状態のまま、身動きが取れない。少しでも動かすと、躰中のあらゆる骨が悲鳴をあげた。右足と、右腕は折れているらしい。感覚が麻痺している。 「だって兵ちゃんも・・・」 「わたしはなんでもない」 証明するかのように、両腕をぶらぶらと動かしてみせる。顔には枝で切ったのか血が滲んでいたが、どうやら本当に大きな怪我はないらしい。 「動けるか」 兵太夫の腕が、頸の後ろに差し込まれる。う、と痛みに声が洩れてしまった。 「やばいな・・・こんなとこ、先生たちもわかんないだろうし・・・」 「だ、大丈夫だよ」 兵太夫に支えられながらもなんとか上体を起した。同時に、吐き気がして何度か咳き込んだ。 「無理するなよ」 「平気・・・」 うっすらと眼を開ける。・・・そして、目の端に映ったそれに思わず息を呑んでしまった。 「兵太夫・・・っ!」 「・・・」 わたしは兵太夫の足元を指差した。それは足首から不自然な方向に曲がった、異様な姿だった。 「兵ちゃんも折れてるんじゃないか?!なんでそれを早く言わない――」 「うるさいバカ三治っ!!」 暗闇に兵太夫の震えた声が響いた。 あまりの口調に、ぎょっとして兵太夫を見る。 「ひとのことなんてどうでもいいだろ!!おまえ、自分の立場わかってんのかよっ!!」 「・・・え・・・」 「あんな・・・あんなとこから背中から落ちて、死んでたかもしれないんだぞ!」 搾り出すような、声だった。 「わたしよりも、三治郎のほうが重症だろうが・・・っ」 「・・・・・・っ」 再び吐き気がして、もう一度大きく咳き込んだ。ゲボッと妙な音を立てて、それは吐き出される。・・・黒い液体。 「立てるか・・・」 呆然として自分の口から出たそれを見下ろすわたしに、兵太夫は囁いた。 「おい、」 次第に覚醒していく意識。 掌で口元を拭うと、それはより鮮明に瞼にうつった。 赤黒い血だった。 「三治っ」 「兵ちゃん」 淡白な口調になっていた。 もやもやが取れた頭で、なんとなくだけれど、自分の置かれている状況というものが理解できた。 「兵ちゃん早く行って」 「な・・・」 「行って」 案外するりと口から出る言葉に、自分でもなんだかおかしくて笑えた。・・・もちろん、笑っている場合ではないのだけれども。 「何してんの。早く行ってよ」 痛みには波があるらしく、何度目かの激痛が背中を走り抜けていった。しかし不思議なことに、最早痛みに対する恐怖心というものは薄れてしまっていた。・・・少し、やばいのかな、そういうのって。 いつだったか聞いたことがあった。生命が消えるとき、すべての恐怖や痛みが瞬間的になくなるってことを。 わたしは死ぬのだろうか。 非道く淡白に、その不確かな、だけど十分にあり得る事実を受け入れている自分が居た。 「兵ちゃん」 兵太夫は唖然とした表情のまま動こうとしない。そうしている間にもまた痛みが這い上がってきて、わたしは小さく息を吸う。それも喉の近くで止まり、ぜろぜろというわけのわからない音がするばかりで、肺には少しの酸素も入っていかない。 「ねぇ、兵ちゃんってば」 もう、いいから。 そんな、苦しそうな顔しないでよ。 「お願いだから――」 「っざけんなよ!」 声とともに、がっと襟首を掴まれた。 勢いがつきすぎて、振動が背中に響く。しかし兵太夫の剣幕に、わたしは一瞬、痛みを忘れた。 「お願いの中身が違うだろーが!」 「・・・え?」 「ふざけるのもいい加減にしろよ!ひとりで格好つけやがって!」 「ちょ、ちょっと・・・!」 わたしが止めるのも聞かず、兵太夫はわたしの腕を持ち上げて自分の頸に回した。折れているだろう足首を地面につけないように、立ち上がる。 「なにしてんの?!兵太夫、立てるんならひとりで行けって・・・っ」 「うるさい黙ってろ!!」 「なっ・・・」 癇癪を爆発させたようだ。 わたしを担いだまま、兵太夫は暗い道を一歩一歩進み始める。 「こんなとこに助けなんてくるわけないだろ」 「だっ、だから兵太夫ひとりで帰れって言ってるんだよ」 「そんなこと出来るわけないだろーが。お前は・・・っ」 と、息をすぅと吸い込み、怒りを吐き出すように。 「――そんなことも、わかんないのかよ」 前を睨みつけて進む兵太夫の顔を、見上げながら。 わたしは目の前が晴れていく心地を感じていた。 「・・・怪我してなかったら、助けを呼んでくるんだけどな」 悪い、と言って頭を下げる。 「辛抱しろよ、きっとすぐに抜けられる」 わたしたちの落ちた場所は、ひとの踏み入った形跡のないところだった。 植物が育ち放題かつ、生き物の住処となりそうもないところ。 背中には岩肌の茶色い崖。 実習の林は頭上にある。・・・ここからあそこに戻るまで、いくらかかるのだろう。 支えられながら、そんな不安が頸をもたげた。 兵太夫の心臓の鼓動が早くなっている。息も荒い。元気だったのは腕だけで、やはり他にも怪我をしているに違いない。 まったく動かない自分の躰が憎らしかった。 もうどのくらい歩いたのか。 次第に道は開けていっているが、未だに見覚えのある景色にはたどり着けていない。 (ああ) 揺れ動くのは頭ばかりじゃない。 (バカみたいだ) そっと兵太夫を見上げる。 ようやく戻った視力に、顔中にある赤い筋を認めた。 途端に胸が痛くなって、どうしようもなく苦しくなって。 「・・・兵ちゃん」 「なに」 苛立った兵太夫の声。 「・・・ごめんなさい」 目頭が熱くなって、思わず顔を伏せた。 なにしてんだろう、わたし。 こんなにぼろぼろになって、ぼろぼろにして。 「泣くなよ」 「・・・っ泣いてない」 言いながらも、しっかり涙声になっていて更に情けない。 もう痛みが退いていくこともなく、ただひたすらに、痛かった。 「痛いか」 「・・・うん」 わたしの言葉に、兵太夫の歩みが止まる。はっとして頸を持ち上げると、苦しげな表情の兵太夫と眼が合った。 ――そんな顔、するな。 「此処、何処だろうな」 「・・・わからない」 自分たちが何処にいるのか、目的地に近づいているのか、遠ざかっているのか、もうよくわからなかった。 「少し休もう」 気を回してくれたのか、兵太夫は静かにそう呟いた。 「はぁぁ」 わたしの隣で、大きな息を吐きながら、兵太夫がごろんと寝転がった。 「大丈夫?」 「・・・三治には言われたくないね」 そうだね。 兵太夫は微笑を浮かべていた。 つられて、わたしも口元を緩める。 二人して寝ていると、いままで必死に歩いてきたことがバカのようにおもえてきて。 まるで怪我なんかしていない気がしてくるから不思議だ。 まだ背中はズキズキと痛いけれど、仰向けの状態は非道く心地良かった。 「大丈夫か」 「うん。」 出来る限りの明るい声で。 そう返すと、そうかと言って兵太夫は笑った。 頭の上には、いつの間にか雲が晴れて黒く澄んだ空が見えた。 このところまったく見ることのなかった星もいくつか見える。 「三治ー」 しばらく見とれていると、兵太夫が声をかけた。 暢気そうだ。でも、それでいい。 「まだ忍者になりたいか」 「・・・」 突然なにを言うんだ。そうおもって、視線を兵太夫に移す。 彼もまたこちらに視線だけを送っている。 「躰中がこんなことになっても、まだ――」 「まだ・・・、」 まだ。そこまで言って、口を噤む。まだ・・・なんだろう。 「まだ、忍びとして生きるっておもってる?」 「うん。」 今度は力強く肯定した。 わたしの声は、暗い森の中に浸透していくようだった。 「こんなになっても?」 「うん・・・」 腕も、足も、ぼろぼろだ。 治るのにどれくらいの時間がかかるのか。 ・・・それよりも、きちんと治ってくれるのだろうか? そんなことは知らない。 でも、とおもう。 「兵ちゃんには悪いけど」 ごめんね、とこころのなかで謝って。 「まだわたしは、このままで生きたいんだ」 「・・・」 どんな将来が待っているのか。忍びとして生きることに、どんな意味があるのか。 わたしはそれを知りたかった。 誰にもわからない未来を、忍びとして生きることで見つめてみたい。 「たとえ死んでも?」 「死んでも」 ”死ぬことが怖いんじゃない。”兵太夫に言われたことを思い返して、すこしこころが痛んだけれど。 「死んでも、いい」 「・・・そっか」 ごめんね。 兵太夫はずっとわたしのほうを向いていた。瞳がゆらゆらと揺れて、きれいだ、とおもう。 このきれいなひとが、どれほど自分のことを想っていてくれたのだろう。 「三治郎」 「え?」 兵太夫はほうと息を吐くと、そう呟いた。 「三治郎が望むのなら、それでいいとおもう」 「・・・。」 視線を空に戻す。二人の見上げた先には、いくつもの星が輝いていた。 「でもさ、三治」 「なぁに?」 耳だけを傾け、次の言葉を待った。 ――そのとき。 「待って」 「え?」 わたしの耳に何かが聞えた。 男の声。何人かが束になって、何かを叫んでいる。 「声がする」 「なに?」 兵太夫は上半身を持ち上げて、辺りを見回した。 そして、「あ!」と大声を上げた。 「先生たちだ!」 「えぇ?」 頸だけを何とか持ち上げると、兵太夫の指差す方向に視線を向ける。 ――遠い、暗い木々の間から、微かに洩れる光。 堤燈をぶら下げて、こちらに手を振るのは、土井先生だった。・・・その後ろに、は組の見慣れた顔がいくつも並んでいるのが見えた。 「・・・助かった・・・」 「・・・・・・よかったぁぁ」 兵太夫は伸ばした語尾のように、全身を地面に横たえた。一気に空気が緩んだ気がした。 「・・・もう駄目かとおもった・・・」 「あれだけ自信ありげに歩いてたのに?」 軽口を叩き始めたわたしの頭に、兵太夫は自分の手を置いた。 「三治に格好悪いとこ見せられないだろー」 そう言う兵太夫は、十分格好悪かった。 「でもよかった・・・」 「うん。」 こころの底から、助かったとおもった。 「また先生にこっぴどく叱られそうだなぁ」 「命があるだけましだよ、兵ちゃん」 わたしの言葉に、兵太夫は黙って頷いた。 大きく息を吸う。いくらか呼吸は楽になっていた。 「ところでさ、さっきの続き、なんなの?」 「うん?」 「でもさ、って」 「ああ・・・」 兵太夫はまた仰向けになった。 「・・・ま、いいじゃないか」 「なにが?」 「いいよ、別にもう」 「なにそれー!」 急に大きな声を出してしまったものだから、わたしは喉の奥で再びむせた。 「おい、じっとしてろよ」 「へっ、兵ちゃんが思わせぶりするからだろ・・・」 「気にするほうが悪いんだよ」 わたしはぷぅと頬を膨らませる。それを見て、兵太夫は笑った。 「大丈夫。三治郎は死なない」 「・・・なにそれ」 「死なないってわかったから、それでいいの」 「?」 わたしは意味がわからないと言ったが、それに満足な答えを返してくれるとは到底おもえず。 仕方ないから、まぁ、彼がいいというのなら、いいのだろう。 変な理屈だが、納得してやることにした。 「三治郎ー!兵太夫ー!」 「大丈夫かー!」 近づいてくる声に、兵太夫が片手をあげて答えている。 わたしは、もう、どうしようもないから。 黙って空を見上げて、助けが来るのを待つことにした。 「あ。」 「ん?」 目の端に映ったものが、わたしの口を勝手に動かしていた。 「あれ」 指を指すと、それにつられて兵太夫も視線を空に向ける。 「三ツ星だ」 「・・・ほんとだ」 きれいに並んだ星が、三つ。 まるで見つけるのを約束していたように、明るく光り輝いていた。 兵太夫はわたしの嘘に気がついていた。 死んだら星になるなんて、兵太夫が言うわけがないことも、自身がよくわかっていた。 あれは、ただのわたしの願いにすぎなかったのだとおもう。 死んだら、もう二度と逢えないけれど。 せめて願うくらいは、させてくれてもいいじゃないか。 「兵ちゃん」 ありがとう。 呟いたら、兵太夫は照れ臭そうに笑ってた。 [ end ] [ 2007/03/08 ] |