その夜、初めて三治郎を抱いた。 は組の連中と別れたあとで、小さな旅籠に宿を取り、そして、そのままだった。 言いたいことは山ほどあった。しかし言葉よりも躰が先に動いていた。 「こういうことするの、初めてだよね」 隣で微笑みながら、三治郎は言った。その言葉に兵太夫は照れたように頭を掻く。汗に濡れた髪の毛は、額に張り付いて離れない。仕方のないので放っておいたら、三治郎の腕が伸びて前髪を掻き揚げてくれた。 「三治・・・」 愛しくなってまた、腕を掴み抱き寄せる。ぎゅっと抱きしめると、「兵ちゃん」と懐かしい名前が自分を呼んだ。 「苦し、よ・・・っ」 「ごめん。でも」 こうしてないと、不安になるから。 また三治郎が死んでしまうのではないかと、考えてしまうから。 離したくないと切実におもった。ずっとこのままでいいと。 しかしいい加減そのようなエゴも自制できるようになっていて、兵太夫は自分のこころの変化に喜びと寂しさが交錯しているのを自覚していた。 愛しいから離したくないとおもう。しかし自制心がそれを許さない。掴んだ腕を離せば、このひとはきっとまた、どこかに行ってしまうだろう。それを止める権利をもっていない自分が非道く矮小な人間におもえた。 いつかまたという不確かな未来はいらないとおもう。いまこのとき、時間が止まるのなら、ずっとこうして抱き合っていたい。そんな叶わないことばかりが兵太夫を苦しめる。恐らく、三治郎も同じだろうが。 「痛っ・・・」 再び組み敷き、唇を肌に寄せた時、三治郎が声をあげた。 「三治?」 驚いておもわず布団を跳ね上げていた。ぼんやりとした灯りのしたで、三治郎が腹部をおさえて小さくなっているのが見える。 「どうした?どこか痛むのか」 「・・・ん、」 晒された肌は、既にきれいなそれではなかった。 背中や肩口には明らかな戦闘の痕が残っている。頬の疵も完治していないのは明確だった。 「・・・おい、ちょっと」 起き上がり、三治郎の抑えられている部分に触れる。大きな縫合の感触が兵太夫の手に残った。 「またやられたのか・・・」 「最近ね・・・」 微笑んで見せるが、三治郎の顔は苦痛に歪んでいた。 どうして最初に抱いたとき気付かなかったのか。兵太夫は唇を噛んだ。 「・・・なかなか治らなくて参ってるんだ」 「どうして先に言わなかったんだよ・・・っ」 夢中になっていたのは自分だけだったのかもしれない。寂しいから、そして逢えて嬉しかったから、兵太夫は三治郎を抱いた。 三治郎が兵太夫を受け入れたのは、そんな心根を知っていたから。 「痛いなら最初からそう言えよっ」 三治郎は僅かに微笑んで兵太夫を見上げた。 「・・・抱かれたくなかったんなら、最初から・・・」 「違うよ、兵ちゃん」 疵口を撫でながら、三治郎は言う。 「抱かれたくないなんて、おもうわけない」 結いの解けた髪の毛は、闇に溶け込んで流れている。 三治郎は変わらないやさしい口調で、言葉を続けた。 「痛いとか、苦しいとか、もうどうでもよかったんだ。兵ちゃんにまた逢えただけで、わたしは・・・」 兵太夫の手が、三治郎の頬を撫でた。汗で湿った肌に、三治郎の深い疵痕を感じる。 「逢えて本当に嬉しかった。死ななくて良かったっておもった。」 「わたしも・・・」 痛みが退いたのか、三治郎は心地よさそうに眼を閉じた。 「わたしも、死ななくてよかったっておもう」 「生きててよかった?」 不意に問われた。間髪いれず、答える。 「当たり前だろ」 三治郎の額に口付けて、いままでの日日を思い返した。 彼の口からはなにも語られなかったが、この躰中の疵から察して相当の無茶をしていたのだろう。よく死ななかったなと、改めておもう。 「兵ちゃん」 「うん?」 暗闇のなかで、三治郎の眼が水を帯びたように揺らいだ。 「嬉しかった。」 「・・・」 「安心した。まだわたしのこと忘れなかったんだっておもって、わたし・・・」 これ以上言葉を紡げないでいる口を、兵太夫は塞いだ。柔らかな感触が心地良かった。 「・・・三治」 「ありがとう。」 毀れた涙が頬を伝う。泣くのはもう十分だとおもったが、つられて兵太夫も泣いていた。 嬉しかった。 口だけを動かして、そう呟いた。 陽が昇った頃、二人は宿を出た。 「平気なのか?」 「うん」 三治郎は明るく笑った。疵のある腹部はまだズキズキと鈍い痛みを発しているが、それもやがて消えるだろう。疵なんて、そんなものなのだ。 「兵ちゃんはあっち?」 「三治は向こうだよな」 互いに向き合って、相手の行き先を指差しあった。その行動におもわず破顔してしまう。 「じゃあ、お別れだね」 「ああ」 何かを言わなければならない。兵太夫はこころのうちで考えていた。しかしいざ対峙してみると、その言葉はなかなか出てこない。ぐずぐずと視線を泳がせていたら、三治郎が兵太夫の手を握った。 「気をつけてね」 すぐに離し、さっと踵を返した。 「・・・三治もね」 三治郎らしい別れ方だとおもった。 相手にも自分にも負担をかけない。これ以上留まっていたら、きっと二人とも動けなくなる。 淡白だが、それが一番いいとおもった。 だが、 (もう行くのか) せめてもう少しだけ、傍に居てほしかった。 たった一夜過ごしただけで、6年の空白を埋めることは出来ない。 また逢えるかも解らない。だから。 (三ちゃん) もう呼ばなくなった名前を、胸のうちで叫んで。 兵太夫も躰を反対側へと向けた。 「――兵太夫!」 「・・・!」 ツと足が止まる。振り返ると、三治郎がこちらを向いて手を振っている。 「言い忘れてたことがあった」 「・・・な、に?」 距離はあったが、声を張り上げるほどでもなく。 三治郎はいつもの大きさの声で、口を開いた。 「好きだよ、兵ちゃん」 「・・・っ!」 兵太夫は耳まで熱くなるのがわかった。 「三治・・・」 言いかけたが、そのときには既に三治郎は坂道を駆けていっていた。 「なんだよ!」 兵太夫は赤くなりながら、笑っている自分に気付いていた。 勝手に言って勝手に行ってしまった彼。 怒るべきなのだ。しかし、嬉しさで胸が高鳴っていた。 「いまさらなんだよ・・・」 恥ずかしいやつめ。 わたしより先に言うなんて・・・何を考えているんだか。 「先に言うなよ。バカ三治」 三治郎の姿はすっかり見えなくなってしまった。 朝日が昇る方向に消えた三治郎は、またどこかで新しい疵を作っていくのだろう。 そしていつかきっとまた戻ってくる。躰中の疵を癒しに、自分のもとへ。 「わたしも、なんて言ってやんないからな」 兵太夫は歩を進めながら、きゅっと手を握りこんだ。 三治郎の温もりが残っている。温かくて柔らかい。だいすきだった感触。 「・・・愛してるよ、三ちゃん」 昇りかけの太陽は眩しくて、三治郎はいまごろ眼を細めているだろうなと、兵太夫はおもった。 [ end ] [ 2007/03/17 ] |