知らない間に世界は自分を置いて動いていたんだなあ、と雲が覆った空を見上げて考えた。漠然と、そう漠然とだけれど、自分はもう世界から必要とされていないのではないか、と、感じた。温かさを求めては突き放す、その繰り返しにほとほと嫌気が差してきた。鼓膜を刺激する音楽も、身体を通り抜けてゆくだけで後は残された自分という心の容れ物をどうするかそればかりを考えていた。飛び降りようとする腕を誰かに攫んでほしかっただけなのに。それは、求めているという事なのだろうか? 俺は、誰も要らないと思っていたのに。 平日の午前中だというのにコンビニの中にはそれなりに人がいて、温かいコーヒーを買うだけなのにえらく時間を費やしてしまった。自動ドアから出て、すぐ側に立っていた彼にコーヒーを差しだす。 コンビニの壁に背中を預け、缶のコーヒーを飲んだ。 冬の空は硝子みたいで、このまま粉々に砕けてしまってもきっと驚かないだろうと思うほど、冴えていた。 途方もなさを、冬の空は思い出させる。 隣に並ぶ人が遠慮がちに指を絡ませてきた。 やめてほしい、そういうの。拒絶しようとしたが指は、その微温い指と絡んで、痩せた指先の冷たさは心地よいくらいだった。このくらいの温度が、ほんとうは、とても調度いい、のに。 「天気が悪いね」 タカ丸さんがぼやくので、俯いて、そうですね、と返す。 「なんで、そんなに、落ち込んでるの」 慰めの言葉なんか要らないと思った。だから誤魔化すように微笑んで、なんでもないですと言う。 「雲がいつまで経っても晴れない」 ぼそっと呟くと、タカ丸さんはそうだねと言って、ずっと空を見上げていた顔を、こちらに向ける。 「なんですか」 「いや……、だから、なんで落ち込んでるのかな、って」 「だから、なんでもないです、よ?」 「ああ、うん」 「……タカ丸さんって、しつこいですよね」 「えー……、と?」 「しつこいですね。嫌いです」 ごめんなさい、ただの八つ当たりです。心の中でだけ謝って、また視線を足許に落とす。 アスファルトに並ぶふたつの爪先、タカ丸さんのゴテゴテしたブーツと自分のスニーカ。裸足になってそれを絡ませれば心地よいのだろうか。冷たいのだろうか。温かいのだろうか。微温いのだろうか。気持ちが悪いのだろうか。 「ごめん」 唐突に謝られて、少し驚く。タカ丸さんのかなしそうな瞳を見つめて、え? と言った。 「ごめん、しつこくて」 「ああ……、いえ」 「しつこいついでに、キスしていい?」 今度は、本気で驚いた。タカ丸さんの瞳を見ると、水のように澄んだそこに、一点の光が走っていた。 驚いたのは、自分相手にタカ丸さんがキスしていいかなんて訊いたからだ。 「それは、同情ですか」 苛立った声が出る。 「そう思ってくれてもいいよ」 悪びれる様子も衒いもなくタカ丸さんがそう言う。心底、腹が立った。 胸倉を攫んでその拍子に落ちてきた彼の唇に噛みつく。キスなんてロマンチックなもんじゃない、そんなものがほしいわけじゃないのだとわかった。 タカ丸さんの薄い唇に歯を立てながら、さほど伸びていない爪で首筋を引っ掻く。薄っすらと赤い筋が一本だけ走った。 「、あやべ?」 胸倉と唇を離した後、タカ丸さんはなんとも言えない表情で言葉を放った。 「貴方が悪いんですよ」 じっとタカ丸さんの瞳を見つめる。困惑と、切なさに満ちた細い目。 「貴方が、悪いんです」 それから沈黙が落ち、タカ丸さんの視線を無視してそっぽを向く。 学生らしい服装の男女が笑いながらコンビニから出てきた。そのうちの何人かの人間が俺達を見て、くすくすと笑いあった。 「何もかも貴方のせいにしてしまいたいです。」 そう呟くと涙が出た。涙の粒はアスファルトに落ちて、弾けて浸みた。 [ 2010/01/20 ] |